昭和59年03月23日 春の霊祭



 若先生が夜中にお呼び出しをいたしましたが、丁度その時間に私はふと目が覚めたら、お広間で何かあってるのかっと聞かんならんほどに、もうお広間と言うよりも合楽の玄関がざわざわざわしてる。雰囲気と言うかね。私はこれは心で感じた事でございますけれども、お互い日頃信心の稽古をさせて頂き、ほんとに神様との交流を願わせて頂いての信心の稽古と思いますが。私はこのもう御霊お祭と言うのは、御霊とのもうそれこそ嬉しい有り難いくうじゅうが出来ると言う事だと思んです。
 ちょうど私共が小学校の時に大運動会と言うのがございました。日頃運動様々な稽古を致します、それでよいと言う事ではない、日頃日々御霊様には心からの奉仕をさせて頂いて、日々まぁ口上させて頂いておると言うだけではなくて、そう言う日々の信心の稽古が今日のこのお祭り併せて頂く御霊、またはそれを奉仕させて頂く拝まして頂く人達との、それこそ嬉しい交流だと、大運動会です。
 子供の時にゃもう遊び明日は運動会と言うたら、眠れない様な思いが致しますでしょうが。夕べのそのう私は全館ざわざわしておるというのは、そういう御霊達の喜びの様を神様感じさして下さったじゃないかと思います。それが今日いよいよだいわきょうかい、もうそれこそもう親も子もみえるもの出らないもの、皆んな魂の運動会を過ごします様に、こうして御霊のお祭は大運動会だと思います。
 だからそう言う心のまぁ最近の私の信心でいうと、嬉しいもう嬉しいに尽きる訳ですけれども。その嬉しい有り難いと言うその心で、それこそ弾んだ心で御霊との交流が願われるのでございます。今日がさぁ今から玉串を奉られます。ご家族で見えてる方ご家族揃うて、そしてそこに手応えのある、神様と交流御霊の喜びを、これに感じれる様な私は玉串奉典でなからなければならんと思います。
 それこそ抱く子も這う子も、今日は御霊達との、言うなら合同運動会に参加しておる様なもんだと思います。でその積りでいよいよ信心を大事にすると言う事は、もちろん天地の親神様のお心を心としての在り方を、身に着けて行く事ですけれども。とりわけ百合の根と言われる御先祖といよいよ密なる交流が、御霊の喜びが感じられる。またこちらの喜びをまた伝えられる、そう言うおかげを頂きたいと思います。
   一言ご挨拶を。